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麻雀新撰組 小島武夫 スペシャルインタビュー


僕らなんか単なる雀ゴロじゃなかったかな

―阿佐田先生が麻雀界に残された功績はなんでしょうか。

本当にたくさんあるね。阿佐田先生が出てこなかったら、僕らなんか単なる雀ゴロじゃなかったかな。それが一番大きいよ。僕がプロ第1号だって言われているけど、それはやっぱり阿佐田先生のおかげよね。だからその功績がすごかったよ。


―阿佐田先生が新撰組をつくる以前はプロという存在はあったのでしょうか。

無かったよ。いわゆるどっかの雀荘にすみついて、ようするに雀ゴロだったよね。そこへやっぱり著名な阿佐田先生がでてきて、ひっぱってくれてマイナーからメジャーになったよね。ゴルフに例えると、ジャンボ尾崎が出てきたから、あれだけ日本でもゴルフが有名になって急激に普及したでしょ。それと一緒で、阿佐田哲也という人が出てきたから、今までのマイナーの麻雀からメジャーのほうへ、ちょっと日が差すほうに向いたってことよ。

それから色々な人が麻雀をやり始めたね。もし阿佐田先生がでてこなかったら、麻雀は本当に暗いもので終わってると思うよ。だから雀聖って呼ばれるわけよ。阿佐田先生のおかげで麻雀は普及したっていうのも過言ではないからね。



やっぱり人物設定が抜群におもしろかったよ

―阿佐田先生の麻雀作品の多くは戦後が舞台になっていますが、当時の麻雀界、雀荘というのはどのような雰囲気だったのでしょう。

その頃僕は20歳くらいで博多にいたんだけど、当時の雀荘はゴロツキの集まりだったね。親戚のおじさんなんかにあんなとこに出入りするのはろくなもんじゃないと怒られてたもん。そんな時代でしたね。最初はセット麻雀が主流だったけど、そのうち大阪発でブー麻雀というのが流行ってね。それから急激にフリー打ちの雀荘が増えたね。


―戦後の雀荘の雰囲気というのは、荒々しいイメージがあるのですが。

そうだね。イカサマがばれたときなんかは喧嘩になったりもするわけよ。でもそのイカサマというのは高度なものじゃないのよ。牌をにぎってたとかすり替えてたとか、その程度の幼稚なものだったのよね。だけど阿佐田先生が小説としておもしろくするには手際が良いイカサマをやってた風にしたほうがおもしろいじゃない。例えば作品の中に出てくるツバメ返しなんてテレビ用に僕が考えた技だよ。


―阿佐田先生の作品には、そのような凄いイカサマ技であったり、色々な刺客が登場したりしますが、実際にモデルとなる人がいたのでしょうか。

まぁあれはフィクションの部分が多いのよ。捕鯨船の男とかモデルはいたんだけど、実際は単なるそこらへんのおっちゃんなわけよ。だけどそこからキャラクターをイメージする発想が、すごく上手だったよね。分かりやすいのが、麻雀放浪記が出たあとにね、有名な作家の人たちがみんな麻雀小説を書くことをやめたんだよね。それは阿佐田先生の作品がおもしろくて敵わないから。まあ何人かはそれでも時々麻雀小説書いてたけど、あんまりおもしろくなかったよね。阿佐田先生の小説は、やっぱり人物設定が抜群におもしろかったよ。

―最後にMONDO TV阿佐田哲也特集を楽しみにしている視聴者の方に一言

作品内に出てくるイカサマは真似するようなことはしないで、ぜひ娯楽として楽しんで欲しいね。それだけで十分おもしろいんだから。イカサマの練習をするぐらいなら麻雀プロリーグを見て麻雀の研究をした方が全然いいよね。



(終)

 


小島武夫 小島武夫
1936年生まれ。「ミスター麻雀」と呼ばれ、麻雀好きなら誰もが知っているプロ雀士。戦後の時代からプロ雀士として第一線で活動し、麻雀ブームを盛り上げた立役者の1人。現在でもMONDO TVを含め多数のメディアで活躍中。
MONDO TVでは、チャンネル創設時から麻雀番組に出演し、昨年の第5回名人戦ではMONDO TV初のタイトルを獲得。→MONDO TVでの戦績データはこちら

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