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麻雀新撰組 小島武夫 スペシャルインタビュー


とにかく一緒にいれば何かおもしろいことやってくれる

―麻雀新撰組を結成されて長いお付き合いがあったと思うのですが、阿佐田先生というのはどのようなお人柄だったのでしょう。

やっぱり懐が深くて、頭も良いし、知ってる通り小説もおもしろいでしょ。色々なアイデアをもってる人なのよ。
新撰組の結成も最初からどうこうしようというよりも、みんな気楽に寄って遊んで、そこからアイデアを得て僕らを題材にして小説や記事を書くっていう含みもあったわけよ。例えば新撰組として週刊誌の誌面対局で著名人とかと対局したときも、それをもとに観戦記を書くとかね。僕らにも原稿の仕事を持たせてくれたりもするんだけど、文章なんか書いたことがないから、文章の書き方とかも教えてくれたよ。
よく飲み食いに連れていってもらったりもしたんだけど、その中で教わったり他にも色々教えてくれたよね。この新撰組をどういう風に伸ばしていくかとか、これから活躍するにおいてどうしていくかとか。僕たちなんかさ、まだ右も左も分からないわけだから、阿佐田先生の言うとおりはいはいってついていっただけよ。そういった発想がすごく出てくる人だから、やっぱり小説もおもしろいし売れるし、賞もいくつももらったよね。だから僕らとしては、とにかく一緒にいれば何かおもしろいことやってくれると、そう思ってたよ。


―行動を共にしたり色々と教わったりと大変お世話になったということですね。

そうだね。当時僕たちもそんなに金をもっていなくてね。新撰組で韓国に遊びにいったときなんて、みんなで仁川までまで足をのばしたんだけど、結局僕たちは阿佐田先生におんぶにだっこになるからね、最終的に金浦空港に戻ってきたときには阿佐田先生もお金が一銭もなくなったと、そんなことになるわけよ。何か飲みたくなってもコーラ2本買うくらいしかお金がないから、それ買ってみんなで回し飲みしたよ。(笑)
 

ラスベガスにみんなで行ったときは、カジノに行ったりしたんだけど、帰りに飛行機の中で僕が「いやー向こう側のディーラーは強くてすごいですね、怖いくらいですね。」って言ったら、阿佐田先生は「いや別にディーラーが怖いとかは思わなかったけどね、やっぱり一番怖いのは仲間が怖いね、金貸せだのいってくるから。仲間が一番怖かったよ。」なんてことを言ってたよ。(笑)

あとは、まだ僕があいうえおで働いていた時、阿佐田先生に、もうフリーになったら?って言われたわけよ。あいうえおの給料は3万円くらいあったけど、フリーになっちゃうとその給料が無くなっちゃうじゃない。そしたら阿佐田先生が、当時週刊誌に原稿書いていたページを僕にくれたりして、原稿料も、普通にもらうよりもたくさんもらえたりしてね、おかげでフリーになっても生活することができたよね。他にも阿佐田先生に作家の人を紹介してもらったりして、作家の人だけの誌面対局もやったりしたのよ。で、僕はその観戦記なんかも書かせてもらったよね。


―生活面でも人脈的なところでも色々なフォローがあったのですね。

そうそう。それで吉行淳之介さんなんかとも知り合いになって、吉行さんとも一緒に麻雀の研究という本を出したんだけど、これがまた売れたのよ。19万部くらい。その当時、麻雀の本で19万部なんてめずらしかったよ。他にも麻雀の本を50冊以上出したけど、「絶対に負けない麻雀」なんて、今でも売れているけど何十万部も売れているのよ。



僕がやってる麻雀は阿佐田先生から教わった

―お人柄についてお伺いしましたが、それでは麻雀打ちとしてはどのような打ち手だったのでしょうか。

凄く研究してたよね。それこそ捨て牌を作って相手に打たせる方法とか、それとどうやって大きな手を狙っていくとか。やっぱ阿佐田先生はそれが巧みだったよ。


―その影響を小島プロも受けられたんですね。

そうそう。もう手役作りなんて凄かったもんね。捨て牌つくりだって色々研究したもの、阿佐田先生と凱章と3人で。でもやっぱり阿佐田先生が一番多くを知っているから色々と教わってきたんだよね。 だから、ほとんど僕がやっている麻雀というのは阿佐田先生から教わったことの繰り返しじゃないかな。もう大なる影響を受けたよ。



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